実体験に基ずく急性心筋梗塞の予兆&発作&手術&病後

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実体験に基ずく急性心筋梗塞の予兆&発作&手術&病後
以下はすべて”私”の場合です。
数字についても”私が”病院で教えられたものです。
1.予兆
1)半年前
2010/3/13に発症→手術のわけだが、2009/9に認知症の母を引き取り、生活が一変している。
=極めて不規則な生活になっている。野菜は若いころから大嫌いであった。
2010/2中旬位からは、壊れていく母、何でも振ってくる父、等から精神的にまいっていた。
2/28には父と大ゲンカをしている。父が「お前は気狂いだ」と言っている。
一人でいられない母に夜中じゅう付添、昼から酒を飲んで寝る、というような生活がつずいていた。
血液のデータなどわからないが、母の病院に置いてある血圧計では上が200だった。
煙草が一箱から2箱に。酒は決まっていないがビール5,6本位。食欲はない。
2)一週間前
2010/3/12に発症→手術だが3/6に緊急病院、千葉市の「坂の上外科」に行っている。
症状は”胸が締め付けられるような痛さ”でその後も同じ。
その時は若いアルバイトのような医者で安定剤をもらい治っている。
その後、3/12まで毎日”胸が締め付けられるような痛さ”は続いている。
*「何かおかしいな」とは思いながら、処方してもらった薬&市販薬(エキセドリン)&別の病院でもらっていた頭痛止め等飲むとなおる。
*何かおかしい訳だが、それを信じたくない自分がある。「自分は強健なんだ」という何の根拠もない自身がある。これらに自分が傾くと自分の命は守れない。
*「坂の上外科」はその場で血液を分解する器械がない。通常STの値が異常にあがり急性心筋梗塞と特定できる。→血液を調べる機械のない病院は心筋梗塞の診断ができない。
「坂の上外科」はベット数19で何でもや的病院。私立のこういう所は避けた方がいいと思う。
2.発作
1)病院へ行く
2010/3/13 17:00頃から胸が締め付けられ、「今度はヤバイ」と思い20:00頃公立長生病院に電話し症状を伝え自分で運転し診察。この際、1ST:下痢になった子供、2ND:家庭内暴力で殴られてこぶができたおばさん、が私の前で私は3番目。この2人で2時間近く待たされた。
家庭内暴力の人など「先生、この人はわかっていても家にかえるんです」など井戸端会議を付き添いの民生委員が医者に始めた。その間私は激痛に変わりのたうちまわっている。
やはり、救急車を呼ぶべきだった、とつくづく思う。
2)痛み
長生病院で待っている間、胸が締め付けられあばら骨がボキボキ折れていくような痛み、これに胃を手づかみされ取り出されるような痛み、最後に顎がしびれあごの骨が折れていくような痛み。
これで2時間半たった。おそらく一人でいれば意識を失ってそのままお迎えが来ていたと思う。
診察を待っている間、「俺は下痢になった子供&井戸端会議おばさんに殺されるのか」→「都会の病院ならこんな事はない。田舎に殺されるのか」→「死んでたまるか」と痛みの増加とともに意識が変化した。
結局意識を失わなかった訳で、「下痢になった子供&井戸端会議おばさん」に感謝すべきかもしれない。
3)診断と移動
2度血液検査をし2度目にはSTの値が跳ね上がった。1度目の血液検査ですでに救急車は呼んでありすぐに移動となる。検査を始めて30分位だったと思う。痛み止め、グリセリン(狭心症にはきく)を処方され、痛みはひく。「旧鶴舞病院、現千葉県循環器病センターにいくから」「向こうに行ったら造影剤いれてステントの手術になると思うよ、頑張ってね」と担当の青柳医師に言われる。
この先生の適切な判断で命が救われたと思う。
3.手術
千葉県循環器病センターについたらいきなり毛剃り。(診察するのかと思った)
私:「手術痛いんですか」
医師:「痛いのと死ぬのとどっちがいいの。今まで痛いの我慢してたでしょう」
これで私が手術に同意したことになったらしい。
この直後、携帯から兄に電話し「この電話で親族も同意という事にします。一秒を争います。本人も同意しています。」→兄の同意もとる。
手術台に移る時、
私:「自分で移りますよ」
医師:「そんなことしたら心臓が破けます。じっとしてて。」
午前一時から手術開始。局所麻酔で意識はある。
右足の裏からカテーテルを心臓まで通す。造影剤注入時はカッと熱くなる。
私の場合、冠状動脈の左前下行枝の#7という位置に狭窄。
20mmと8mmのステント(人工管)を残置する。さらにステントを風船で膨らませる。
この風船が足の裏から入ってくる不快感がたまらなかった。
また、途中で息をとめておくように言われる。
体力も消耗しつくし、胃も痛い状況で辛いものがある。
私の場合、ステントを2本いれたので、手術の時間がかかった。
一本目と二本目の間に10分ほど休む。
結局終わったのは午前3時。
なを手術は、上記会話の医師がサブ(女医)、オペレーションを行うベテラン医師、その外5人(意識朦朧の中で数えたので不正確)。
4.病後1(入院中)
入院中は1400カロリーの食事(エネコンと呼んでいる–エネルギーコントロールの略か?)リハビリ。
リハビリは1,2,3週間の3コースあり私は2週間コース。
結構不気味で、例えば最初の1日は介護ベットを90度に立てて5分間座っているだけ。
2日目はベットの上を5分間座っているだけ、等。
これでも息が上がりできない人もいるようだ。
ちなみに私はすべて1日で合格。
退院時、右上で肘の内側から再度カテーテルを心臓までいれて検査。
新しい狭窄は見つからずその翌日退院。
検査の日から翌日9時まで右ひじを固定される。
これが結構しんどい。
検査時医者からもらった注意事項は、
1に禁煙、2にコレステロール管理。
さらに、5-30%ステント部分再狭窄する可能性がある、と明記。
金額は220万円だったが3割負担で約60万かと思った。もちろん退院時払えない。
市が高額医療は払ってくれる制度があり、後で父に払いに行ってもらい12万少し下で済んだ。
5.病後2
退院後、酒&煙草はぴったり止めた。自分としては画期的。
油(天ぷら大好き)もほとんどとっていない。
卵も食べない(ウニ&イクラも)。
という生活を送っている。
体重も10キロ落ちている。
医者からは、
決められた薬は必ず飲むこと、退院後月一回外来を受診すること。
3が月、6か月に退院時と同じカテーテルを心臓まで通す検査手術をする。
を言われている。
ちなみに薬は、
アスピリン系(血液をサラサラにする)2種類2錠、コレステロールを下げる薬1種類2錠、
血圧を下げる薬1種類2錠、胃薬1種類2錠、
これを朝夜に分けて飲む。
6.7/12-14に検査入院。
医者から以下説明を受ける。
1)血液他の数字は素晴らしい。
2)ステント部分が少し汚れている。
3)左2つの冠状動脈の間にある4番目に太い血管(人によって異なる)が50%詰まっている。
4)壊死した心筋が復活する予兆がある。(少しでも細胞が残っていればこの部分が広がる)
*通常壊死した心筋は元に戻らない。心臓の出力が6,7割に低下する。
さらに何割低下したか、特定するのに1年かかる。
7.以下は病院で教育を受けたり自分で調べた内容
1)10年生存率は50%(冠状動脈の左前下行枝の#7という位置に狭窄の場合=私)
”なんちゃって心筋梗塞”(自然治癒)のようなものもあり、一言で心筋梗塞といっても千差万別
2)発症後4-6時間をゴールデンタイムといい、この間に手当をするかしないか、生死を分ける時間帯と言われている。
私の場合4時間後に手当を受けている。
私見だが4時間と6時間では大きく違う。同じ助かるにしても壊死した心筋の量が違ってくる。
3)実際は発症後30分以内で死亡するのが33%。
私見だが再発した場合既に心臓に打撃を受けており、33%の確率で死亡するのでは。
10年生存率は50%(著しく高いと思う)の根拠となる。
また、発症後1,2年は節制するが、心臓出力の低下に体が慣れると、痛み&恐怖を忘れ酒、煙草、天ぷら等始めてしまうのでは。

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